高輪築堤遺構
今日は、鉄道遺跡「高輪築堤遺構」が見られるかもしれないと思い、高輪ゲートウェイ駅まで足を運んでみました。
高輪築堤は「海の上を陸蒸気が走る」と明治人を驚かせたかつての東京名所です。
明治の始め、政府の中では軍事力の強化を優先して進めたい西郷隆盛と鉄道網の整備をはかりたい大隈重信の方針の違いがあり、その経過経緯から軍が兵部省が持つ高輪の土地を測量さえさせなかったそうです。そうして鉄道網の整備に暗雲がたちこめた時、大隈重信が「軍の土地などいらぬ、海の上に鉄道を通せ」と田町と品川の間の海上に堤防を築かせてその上に線路を引いたという話が今に伝わっています。
新聞記事の写真によると、昔の絵に描かれたとおりで、高輪の海岸沿いの海上を走る陸蒸気の姿が目に浮かんできます。
貴重な近代日本の鉄道・土木遺構の出土に興奮しました。
しかし残念ながら、工事囲いの間から見える範囲では遺構の在る場所が低いためか、単に溝が見えるだけでした。
大規模なまちづくりが進む品川再開発エリア内だけに、今後の調査、保存の方法などがどうなるのかは気になるところでもあります。
1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。
「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞